kenny_desuのひとりごと

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LAWSON presents 夏川椎菜 Zepp Live Tour 2020-2021 Pre-2ndに寄せて

 みなさんはMAJORって読んだことはありますか?ありますよね。

 

 

 

さっそく主語が大きいのだけど、オタクという生き物は後先考えずに生きていることが多いと思う。それは多くの場合は悪いこととされるけど、MAJORでも言ってたよね。目の前の一球一球に死に物狂いになれない奴がメジャーに上がれるのかって。

ただそうやって生きていると何回かはひどい目に遭うはずで、つまずいてから這い上がっていくことになる。何度だって這い上がればいい。そこにモチベーションなんていらない。ただ好きだから走り続けるんだ。我々は多くのことをMAJORから学んでいる。

 

 

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話は変わるけど劇場版少女☆歌劇 レヴュースタァライト、良かったよね。他人の言葉じゃダメなんだって。メチャクチャ熱いシーンだった。そういうわけでそろそろ自分の言葉でいこうと思う。

公演自体の考察や解析は諸賢が大いに行っていることと思うので、そういったことは度外視してただただ感想を述べていく。

 

 

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まずは開催にあたって。ここ1年は行き場のない嘆きや悲しみ、溜まっていくフラストレーション。そんな空気が続いていたと思う。このツアーも社会情勢の影響を受けた多くのイベントの例に漏れず、延期に延期を重ねて逆風に晒されていた。予定通りにいったのは札幌だけだったか。元々の日程を忘れるくらいにはペンディングされていたと記憶していて、中止払い戻しもやむなしと考えていたが、結果としては無事に開催までたどり着いた。

ちゃんとここに来れた。この安堵感は大なり小なり多くの人が感じていたのでは、と思う。

次に生バンド。様々な恩恵がある。自分としては開演前からちょっとフライングしてライブの中身が溢れ出ているような、そんな感覚がたまらなく好きで。ギュイーーーーンとかブォォォォーーーーーーーンという音が聴こえてきた時からライブが始まっていると言っても過言ではない。だからライブも野菜も酒も生が一番良い。いや、酒は場合によるし肉は生じゃない方がいいか。 

 

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夏川さんの曲は全体的に"その曲を出した時点でのこと"を歌っていると思っているので、じゃあ時間が経つとどうなるの? あの時と同じまま? という極めて難しいテーマ性を持っているはずで。いつまでも変わらないのか、変わらないために変わるのか、変えていくのか。いずれにしても、曲に対して「このようである」というラベル付けを何度も繰り返していき、意味合いを変化させたり付与させたりといったことが求められると思っている。要は「2年前はこのようにストーリーを仕立てたけど、今回はどうするの?」ということかなあ。

 

MCでもある程度言及されていたけど、感情の解放みたいなものがひとつのテーマだったと思う。全体的にはなんとなく反抗期チックな、そんな印象があった。反抗を剝き出しにしたわかりやすいアウトローではないけども、レールからは外れない範囲で逆らっているような。

中学生の時。校則に逆らってスカートを短くしたり眉剃りをしたり、ちょっとだけ規範から外れようとするけど学校にはちゃんと来るし部活や課外活動も一応やっている。そんなことがなかったか?言葉を選ばずに言えばクソガキの思春期。そんな匙加減を感じたかな。そんな出来事があったのはお前が治安の悪い地区の公立中に通っていたからだよ? そうかもしれない…。

これも今思い返すと、単に異端ぶったアピールをしたいというだけではなくて(そういうケースもあっただろうが)、抑圧からの解放とか自己表現とかあるいは理不尽への対抗心とか、そういう意図があったのかもしれない。世間一般的には正規の手続きに従って異論を唱えてくださいよ、が正しい姿だけど。でも思春期ってそういう理屈が通るお年頃じゃないんですよね。もやもやとしたやりきれなさみたいなものを何かにぶつけたい、くらいの漠然とした感じ。それを表現しようとするけど方法を誤ってしまうのが青春のほろ苦い一ページになったりするとも思っていて。

冒頭でも書いた通り、延期に延期を重ねた今回のツアー。 間違いなく向かい風だと思っていて。1曲目である『イエローフラッグ』では文字通り幕が開けて始まるのだけど、ここで中央から伸びていく一筋の道が拓けていくのが見えた気がして。そこからさまざまな曲が展開されていくのだけど、暗闇の先とか山々とか、やや負のイメージを持つ漠然とした存在の中から道筋を見出していくイメージもあり、内に秘めた力強さみたいなものを感じつつ、今の世の中への不満ごとや「もやもやとしたやりきれなさ」も掬い取っていたように感じた。

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今の自分は何者なのか? 何者かになれるのか? 歩いてきた道は正しかったのか? よくあるが永遠のテーマだと思っていて。特に最後は答えが存在しない話。

過去から現在の線。これは変えようがなく、分岐点があったとしても干渉できるものではない。選んだ道は正しかったのか? あの時ああしていたら今は…。そんなことを考えることがあるかもしれないけど、選んできた道を含めて今の自分が形作られているわけで。それを肯定してあげられればいいんだけど、そうもいかない…。ライブ後半の「解放」はこのあたりの受容とプログレスの話なんじゃないかなあという印象だった。

『パレイド』がリリースされた頃には現在過去未来の軸を引いてああでこうで、という話をずいぶんとしていた記憶がある。選んだ道を正解にしていく、これが2年前のプロトポイント。では今回は…? と考えた時に見えたものが「自分が歩いてきた道の後ろを振り返る」「後進のために先陣を切っていく」この2つ。

前者は単に時間の流れがそうさせるもので、時間は前に進んでいくからこその変化というかなりゆきというか。あの時はキツかったけど今振り返ったらそうでもなかったとか、逆に今になってじわじわときているとか、様々な形の変化があると思うけども、いずれにしても振り返る余裕ができたというか、自分が通ってきた道だからこそ同じようなことにぶつかっている人たちに寄り沿ったり感情を掬い上げたりというような。MCでの話を聞いていてもそんな印象があったかなあ。

後者なんだけど、今はそんなフェーズなのかなと考えながら見ていた。大阪公演は奇しくも夏川さんの誕生日(今年の7月18日で25歳になる)だったのだけど、25歳になるにあたって「表現することも何かを作ることも好きなので、作ることでこれからの若い人たちの糧になったりとか、いずれそういうものを作れる人間になりたい」という旨の話をされていたのが印象的で。たとえかっこよくなかったとしてもいい、こういう在り方でもいいんだよという背中を見せていくようなライブ中のイメージとも重なって。

 

 

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つらつらと書いてきたものの、実際は「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」よろしく我々が勝手にそれらしい意味を見出しているだけなのか、本当にメッセージ性が存在するのか、正解は定かではないし教えてもらえるものではないと思うけども、そういうことをあーでもないこーでもないと考えるのは面白いよね。どれだけ自分の考えや価値観を重ねていくことができるか、重ねる意味を見出すことができるか。記憶に残っている景色を取り出して、そこから何かをかたどって、色を塗り重ねて形を作っていくような。そんな営みが楽しいことは間違いないし、夏川椎菜というアーティストはそうさせてくれることは間違いないと思った。

今後どうなるのか、それは蓋を開けてみないとわからないけれど、まだまだ沢山の面白いことを提供してくれると思っている。

 

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今思い出したけどこち亀の話していい? 何巻かは忘れたけど、「悩んだらまず『生きる』モードに切り換えてからスタート」の回での話。誕生日の話も少し絡むけど、BLEACHでも誕生日の話はしていたな…。ちょっと混ぜよう。

 

誕生日、両親あるいは最も信頼する人がくれた最初の贈り物なんですよね。自分では確認をすることができない、願いや希望や夢が託された日。プレゼントをもらう日と決めつけず自分を改めて見直す日にすべき、みたいな話だったかな。

7月18日のことを思い返してみると、まさにそういう日だったな。上でも少し書いたことや、「夏川を応援していてよかったとなるような、そんな存在であり続けられたら」という旨の話があった。みんなで誕生日を共有して祝うことができる、それ自体が幸せなことだし、そういう場に立ち会うことができて心から良かったと思った。

 

 

 

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列車は必ず次の駅へ。

舞台少女も次の舞台へ。 

ではオタクは?

 

こういうことや「オタクとしてどうあるべきか?」を考えて狂ったり悩んだりしている人を何人も見てきた。考えることをやめたらそこで終わりだけど、好きだから走り続ける。オタクをやるのはそれくらい単純でもいいじゃないか。

とりあえず進む。そういうことを大切にしたいね。色々考えたけどそれが一番だと思う。1か月足らずの短期間だったけど濃密なツアーだった。Pre-が外れた真の2ndを心待ちにしたい。

 

でも突然発動してイベントに参加するのだけはよく考えてからにした方がいいと思う。