kenny_desuのひとりごと

備忘録。いい感じのブログ名を常に募集しています。 @kenny_desu

LAWSON presents TrySail Live 2021 "Double the Cape"に寄せて

おそうざい?おそうざいなら、キンピラがいいかな?

 

 

「5年経つと人は変わる」とは夏川嬢の言である。

確かにこの5年で元号は変わるしイチローは引退するしオリンピックは延期するしと、時間の経過を感じる出来事は数多くあった。自分の5年前を思い返してみるとイントロで叫び声を上げては全身で音楽を浴びる喜びを表現していたが今は落ち着いて………いることもなく。もしかして今と変わらないのでは?

本質的な部分は大きく変わることはないのだろうが周囲を取り巻く環境や価値観は移り変わるもので、その中で同じ存在であり続けること、「変わらない為に変わる」ではないが全てが変わらずにいることは難しいのだろう。

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「あかね色」→「azure」→「明日も晴れる」のブロックが非常に美しかったと思うのだけど、彼女たちが軸足を置いている部分ってここに尽きるのではないかなあと。彼女たちが人を惹きつける理由としては"Try"の要素が多分にあるのだと思っていて。『Sail Canvas』の曲は視点を前方に置いたポジティブな傾向が特に強くて、その眩しさがたちまち人々に元気を分け与え勇気づけるものなのだろうと“The Age of Discovery”の時に感じたのを今でも覚えている。

そんな中で「あかね色」は、例えるなら卒業式の前日にあんなことあったねと寂寥感を打ち消そうとさえするように名残を惜しみつつも過去から未来へ向いていくような、毛色が異なる曲だと認識していて。茜色の空自体が儚さや寂しさ、別れを象徴するものでもあるので曲の終盤でお互いを確かめ合うように向き合うのもそういうニュアンスを含んでいる気がして。でも向き合った時には前を向いて進む準備はできているぞというような感じ。何かとても不思議な印象。

一方で「azure」では対照的に青く澄み切った空がモチーフになっているんですよね。青空と言うと説明するまでもなく自由だとか晴れやかさだとか、きわめてポジティブな意味合いになってここまで対照的な曲を並べてくるのかと。でも何にも縛られることがない澄み切った青空、それって不確かさも孕んでいるんじゃないかなあ。

落としたもの 拾ってきたもの

数えたりもするよ

はぐれたこと 道草したこと

何も 何も 間違いなんて無いって 言えるかな

多分色々な正解があるんだろうな。対照的な曲と書いたが未来の不確かさに触れている点では共通しているのかなと。でも憂いに重きを感じではなくて愛おしい時間を抱きしめているようなイメージで、それで違う道を歩いていくとしても振り返ることはしない。色々あったけれど前を向いて進んでいこう。一緒に過ごした同じ時間がある、それは確かなものだから。こんなところが昔から変わらない姿勢なんじゃないかなあと、そんなことを考えていた。

明日世界が終わるとしたら今夜は何を食べよう

おそうざい?おそうざいなら、キンピラがいいかな?

 

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そうは言っても前ばかり向いて過ごせるわけでもないし、ちょっと立ち止まりたくなる時もある。そこで流れ出す「明日も晴れる」。これは「一人じゃないよ」ってことだとも思うし、こんな時勢なのでいつものように声を出してお互いにやりとりをするわけにはいかなかったのだが、どんな時でも心は通じ合っているというメッセージでもあるのかな。

少し前に「"Try"の要素が人を惹きつける」と書いたのだが、常に最高を更新し続けようとする航海を続ける彼女たちからのメッセージだからこそより響くと思うんですよね。彼女たち自身も言及していたが、デビュー当初はライブをやりきるだけで精一杯だったという。我々(あえて大きな主語を使う)も、子を見守る親のような気持ちではないけれど、何らか線を引いて見ていた節があるのではないかなあと思う。「彼女たち」と「自分たち」みたいな。

 

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これが「ただいまとおかえりを言える場所を作って待ってる」の話に繋がってくると思っていて。

会場が代々木第一体育館だったこともあってか、とあるMCで「スフィア姉さん」の話も上がったのだが、偉大な先輩方も「5人目のスフィア」というワードを用いていたのを思い出した。これまで関わった一人一人がスフィアとしての存在を成立させる大切な一員であるとの意であったと記憶しているが、ニュアンスこそ異なるがスタンスとしては近いのではないかなあと。

帰ってくるというと過去にかかる言葉のイメージが自分の中にあるけれど、現在から未来にかかる動作であって、「ただいま」を言う場所が残っていなければ「おかえり」にもならないわけで。その場所を作って待っているというのは未来へ向けた話をしていることに他ならないんですよね。ご時世柄ライブへの参加が叶わなかった人々も当然いると思うけれど、そういった人たちにも向けたメッセージでもあって。今この場にいないとしても、あなたも間違いなく今現在の彼女たちを形作った関係者なのだと。

 

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舞台の世界では演じる者と観る者が揃って舞台は成り立つものというけれど、まさしくそんな感じじゃないかなあと。3人が歌って踊って、観客も全身全霊で楽しんで。姿形としての実態はなくて、再現性もなくて、この光景にふさわしいネーミングも思いつかないけど、この景色こそが大切な場所であり日常だと言ってくれているんじゃないかあと。ひどく月並みな話をしていると我ながら思うが、Free Turn が名盤たる理由を改めて思い知ったなあと唸っていた。

 

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ステージ上の光景と思い出とをダブらせながら見ていたシーンがかなり多く、なんなら演出としてもダブらせてきていた。色々変わったよねというのと、色々なことがあったよねというのと、歩んできた道のりというのはかくもセンチメンタルにさせるのだなあと。多動しすぎて物理的に分身しかけたこともあったが。

 

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我々が望む限り彼女たちは航海を続けて新たな景色を見せてくれるだろう。いや、一緒に見ると言った方が正しいか。

 

とにかく"日常"が失われずに続いていくことを願ってやまない。

 

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久しぶりに文字数を気にせずに好き放題書いたら気持ちよかった。また気が向いたり加筆するようなことがあればやります。